UCCコーヒー博物館 豆本シリーズ
1.珈琲・豆知識 / 伊藤博 *著 / 125p
2.大作曲家と珈琲 / 鞍信一 *著 / 76p
3.日本最初の珈琲店『可否茶館』の歴史 / 星田宏司 *著 / 118p
4.ブラジルの珈琲 / 伊藤博 *著、伊奈彦定 *カット / 100p
5.珈琲哲学序説 / 寺田寅彦 *著 / 90p
6.珈琲博物館事始 / 諸岡博熊 *著 / 141p
星田宏司 *装幀
いなほ書房
1988.10初版 / 10.5×7.5 / ハードカバー
[ 商品番号 N゜s6-3 ]
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神戸ポートアイランドにある「UCCコーヒー博物館」によって上梓された豆本シリーズのセットです。
各巻それぞれの著者の趣向と思い入れが真面目で愉しいシリーズで、装幀は、UCCコーヒー博物館の建物デザインにも取り入れられたというコーヒー飲用普及の始まりであるイスラムのモスクをイメージした意匠、また、発行日は10月1日(珈琲の日)と、コーヒー好きにはたまらないこだわりようです。
1巻は、日本コーヒー文化学会副会長・伊藤博氏による「珈琲・豆知識」。
白く清楚なコーヒーの花の話に始まり、コーヒー豆の三原種やネーミング、コーヒーベルトについて、伝播の歴史、生産国とその特徴、良い生豆・煎豆の選び方、飲んでみたい世界の逸品、焙煎について、ブレンドの妙について、抽出法のいろいろ、カップテイストの方法など、珈琲の豆知識が盛りだくさん!
豆本なので、ポケットに忍ばせてコーヒー選びはいかがでしょうか♪
2巻は、金沢で喫茶店を営み、雑誌編集長としても活躍、また、蓄音器コレクターとしても有名な鞍信一さんによる「大作曲家と珈琲」。
バッハ、ヘンデル、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトなど、誰もが一度は聴いたことのある作曲家と珈琲にまつわるエピソードが、コーヒー・ハウスやカフェなどヨーロッパのコーヒー文化と共に愉しめる1册。芸術の神・ミューズはまた、珈琲の神でもあったなんて豆知識、ご存じでしたか?
3巻は、日本コーヒー文化学会会長で、いなほ書房の社長さんでもある星田宏司による「日本最初の珈琲店―『可否茶館』の歴史―」。
世界を廻り、日本へ伝わったコーヒーの歴史と、日本で最初の本格的な珈琲店・可否茶館が紹介されています。明治21年、鄭永慶氏により志高く始められた可否茶館の歴史が、その驚きの終焉まで、ゆかりの人々の回顧録を交え詳細に報告されています。特に、開店に当たって配られたという店発行の小冊子や(今でいうミニコミのようなものでしょうか!)、開店当時の広告・紹介記事などが原文のまま記載されているという資料性の高さも得難い1册。
4巻は、1巻でも参加されている伊藤博氏による「ブラジルの珈琲」。
珈琲というアングルから、ブラジルを眺めた1册です。ブラジルへコーヒーが伝わった背景に隠れたロマンスのエピソードや、日系移民がブラジルのコーヒーの歴史に残した偉大な足跡、日系ブラジル人画家・中嶋岩雄氏との出会い、日本人街を含むガルボンブエノのレポートなど。
5巻は、物理学者でまた随筆家としても知られる寺田寅彦さんの随筆集。寺田さんは、“好きなもの、苺・珈琲・花・美人・・”というロマンティシズム溢れる詩でご記憶の方も多いのではないでしょうか♪
「珈琲哲学序説」と「銀座アルプス」が収められています。
「珈琲哲学序説」では、少年の頃、薬代わりに飲まされていた牛乳を飲みやすくするためにお医者さんが入れてくれた珈琲…その劇的な出会いから、時を経て留学先のベルリンで再会した珈琲...など、さまざまな珈琲とのシーンやエピソードが綴られ、その限りなく浮遊し拡がる思考は、芸術論・宗教論にまで及びます。“珈琲漫筆がつひつひ珈琲哲学序説のやうなものになつてしまつた。此れも今し方飲んだ一杯の珈琲の酔の効果であるかもしれない。”と、しめくくりも小粋!
「銀座アルプス」は、銀座の記憶を辿った随筆。幼い頃の記憶の遺り方の不思議を考察した出だしが素晴らしく、珈琲を巡るエピソードはもちろん、「初音」の御膳汁粉、「松田」の玉子豆腐、“ミルクのはひつたお饅頭(=シュークリーム)”など、美味しい記憶もどうぞお楽しみに!
6巻は、大阪万博「太陽の塔」副館長を経て、UCCコーヒー博物館開館時の館長を務められた諸岡博熊氏の「珈琲博物館事始」。
岡本太郎氏の持論を受け、ポートピア博覧会のパビリオンを博物館として再生するという画期的な計画のもと、“楽しくて、ためになる”コーヒーの博物館開館までの過程が、綿密な考察で辿られています。“企業博物館”の定義や哲学、そしてもちろん実践に至るまでが網羅されているので、これから企業博物館設立をお考えの向きには特にお薦めの1册です。
The key to the treasure is the treasure
併し自分がコーヒーを飲むのは、どうもコーヒーを飲む為にコーヒーを飲むのではないやうに思はれる。宅の台所で骨を折つてせいぜいうまく出したコーヒーを、引き散らかした居間の書卓の上で味はうのではどうも何か物足りなくて、コーヒーを飲んだ気になりかねる。矢張り人造でもマーブルか、乳色硝子の卓子の上に銀器が光つてゐて、一輪のカーネーションでも匂つて居て、さうしてビュッフェにも銀とガラスが星空のやうにきらめき、夏なら電扇が頭上に唸り、冬ならストーヴがほのかにほてつて居なければ正常のコーヒーの味は出ないものらしい。コーヒーの味はコーヒーによつて呼び出される幻想曲の味であつて、それを呼び出す為には矢張り適当な伴奏もしくは前奏が必要であるらしい。銀とクリスタルガラスとの閃光のアルペジオは確かにさういふ管絃楽の一部員の役目をつとめるものであらう。
寺田寅彦 *著 「珈琲哲学序説」より
Information
出版社品切れ または絶版 となっています >2018年6月現在